「みんなと一緒」が安心するという気持ちもわからなくはないが私はそういったことを子供の頃から気にしたことがほとんどありませんでした。
肌感覚的に少数派が有利になることを感じていたのかもしれません。
中学生の頃には信長の野望というゲームにはまったこともあり、徳川家康が好きになりました。少数精鋭という言葉を覚えたのもこの時期だったでしょうか。
そもそも多数派は責任がぼやけるというか所在がはっきりしないというか中途半端な意識の人が多くなりがちな気がします。これが少数になると自分の役目の自覚ができるということになるでしょう。
社会では圧倒的に多数派が有利、何をもって有利とするかは置いといて、数の力でイメージを作り上げていきます。
そのイメージが何年も蓄積されたのが慣習というものでしょうか。
子供の頃は親が守ってくれますからいいですが働きだすとそうもいかない場面に遭遇します。
会社のしきたりや暗黙の了解といったいまいち合理的でないことにも合わせる方が楽ですから多数派になりますね。少数派の意見がいくら正しくてもなかなか受け入れてもらうことはできません。
なぜなら多数派の数で押し切られてしまうからですね。
多くの人はそういった経験からあきらめモードになり多数派に馴染むというか表面上は摩擦をおこさない行動になります。だってその方が楽ですもんね。
しかしそういったことを続けていくとどんどん人生は楽しくなくなっていきます。なぜなら自分で納得してないことを何年も続けていかなければならないからです。
何でもかんでも反発しろとは言いませんが穏便に済ますことを最優先にしていると自分の気持ちはどんどんしんどくなっていくのではないでしょうか。
私も一時期そういったことがありました。
でもどうしても我慢できなくなったというか、なんだかバカらしくなってしまったんですよね。そこで社会に馴染まなくてもいいから自分が幸せだ、楽しいという人生を送ってみたいと強く感じるようになったんですよね。
その辺りからセミリタイアへの道を踏み出したのかもしれません。
最初は怖いかもしれないけど社会に馴染まない生き方でも充実した時間を過ごすことができるので今何か気持ちがモヤモヤしているなら思い切って一歩を踏み出してみてはどうでしょうか。
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