私は基本的には何でも効率的にやりたい主義です。同じ結果を得れるなら遠回りせずに近道した方がいいですよね。だから仕事や資産形成においてはとにかく効率を重視して試行錯誤してきました。
私が社会人になったのは約30年前になりますが働き出してから数年してとにかく効率に拘るようになった感じがします。当時は今のようにインターネットが普及していませんから自分で試行錯誤するか書籍からの情報が主だった考えのヒントになっていました。
インターネットで検索するとパッと答えが出ずにかなり遠回りをしたこともありますがそれはそれで良かったと感じます。その過程において自分の思考が熟成されるようになったからです。
このような流れで私はできる限り何でも効率的にすることに拘ってきましたが今の時代の効率至上主義はちょっともろいなと感じることもあるのです。
今回はそんなお話をしてみたいと思います。
練り込まれた思考から単純思考へ
簡単に答えが出る時代の効率至上主義はもろいと思うのです。今やたいていのことの正解はインターネットで検索すれば出てきます。あとはどうやって使うか、どのタイミングで使うかなどはありますが間違いをせずに済んでしまいます。
こう聞くとすごく効率的だと感じますが世の中には正解とされることをしてもうまく行かないことはたくさんありますよね。いわゆる、それは正論だけどもみたいな感じです。
その時に昔は自分で試行錯誤した経験があるからうまくリカバリーできてより強固な効率的な過程を組み立てていくことができますが、簡単に答えが出る今の時代ではそこがもろいと思うんですよね。
寄り道をしないで正解にたどり着くと思考力が育たない
情報が豊富な現代と違って一昔前はほとんど情報がない状態だったと言っていいでしょう。そこから何とかして情報を探し出してさらにそこから考えてより良い方法を紡ぎ出していくということが必要でした。
一直線に正解にたどり着けるのではなくたくさんの寄り道をしながら正解にたどり着いたわけですね。その寄り道のおかげでその時はあまり役に立っていなかったことも将来ああこんなことを経験したなということで点と点が線になることもあります。
つまり考える力が育っているということなんですね。
脳を退化させないために様々な方法を考えよう
正解がわかるからといって簡単にそればかりを求めてしまうと脳が退化してしまうんじゃないでしょうか。ダメな方法はなぜダメなのか?こういうことを説明できる方がいいと考えています。
1つの正解だけよりも複数のダメなことがあるからこれが正解だと導けるようにしておいた方が年齢を重ねるごとに役に立つことが増えると思います。