父が他界した年齢まで後6年、私は父が生きたかった時間も生き続けます

2023年5月24日水曜日

日記

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私の父は58歳で他界したのですがその年齢まで後6年となりました。父は酒やたばこをたらふくしていたのでそれらを全くしない私とは健康状態に差はあるんでしょうけど、遺伝子は引き継いでいるので自分の中では58歳というのはひとつの節目に感じています。

父が亡くなった原因は肝臓がんでした。沈黙の臓器と呼ばれるだけあって発見された時には余命3ヶ月と診断されました。当時は連帯保証人の借金があり返済に四苦八苦していた母が頼ってきた記憶があります。

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当時は金策に忙しかったのでそのことばかりが頭に残っていますが、父は自分なりにきちんと死後の段取りを整えてくれていたので手続きのまどろっこしさはありましたが割とスムーズに進めることができました。

父の退職金で借金を一括返済した時にはほっと胸をなでおろしたものです。

もう時効でしょうからどれぐらいの毎月返済をしていたのか過去の記録をみて書き出してみます。

サラ金(消費者金融)

A 毎月2万円

B 毎月1.5万円

C 毎月1.7万円

D 毎月1.8万円

E 毎月1万円

F 毎月2.5万円

G 毎月1.5万円

H 毎月1万円

I 毎月1.5万円

当時のサラ金の金利は年16~30%が相場でした。毎月返済のサラ金は9社になっていますがもともとは14社から借りていて5社分は私が返済しました。

銀行ローン

A 毎月6万円

B 毎月10万円

C 毎月2.65万円

合計33.15万円

ここに夫婦二人と子供(妹)一人の生活費と医療費などが加わり毎月の支出は合計76万円でした。借金とは別の金額が大きくなっていますがこの頃は母が自営業をしていたのでその仕入れや運営費が含まれています。

改めて書き出してみるとすごいですよね(笑)

父は公務員だったのでサラ金側もどんどん貸してくれたみたいです。父の給料は手取りで月69万円だったのでこれだけでは収支はマイナスになりますが家族からお金を借りてなんとかしのいでいたという感じですね。

本当にこの頃は大変だったなあ。

父が他界した年齢に後6年となり、ふとどんな父だったかなあと思いにふけることがあります。死ぬ間際の借金騒動のことはありますが今一度振り返ってみると良い父だったなあと感じます。

ある意味自由奔放な生き方で子供の時はいろいろな体験をたくさんさせてもらいました。

浴槽をどこかから調達してきて亀を育てたり、カブトムシやクワガタムシをとるために前日から山にすいかを置きに行ったり、小学校の登校前に早朝から釣りにいったりと今思い出しても楽しかったなあという感想しかでてきません。

キャンプに行ったときはテントを張ってご飯を作ってくれたりとアウトドアも得意だったのかな。釣りが趣味だったので早朝や夜釣りにはよく連れて行ってもらいました。

昔のテントって今のとは違ってほんとに雨風をちょっとしのげるみたいな感じのものだったんだけど寝転ぶと地面の凸凹がすごく気になった記憶があります。

私はすごく疲れてテントで寝ちゃったんだけど父はテントは体が痛くなるので車で寝ていたというおちがあります(笑)

そうそう小学生の思い出といえば私が小学4年生の時に学校で遊んでいて転倒した拍子に花壇のレンガに歯をぶつけてしまって欠けたことがあるんですよね。

父が迎えにきてくれてそのまま歯医者に行ったのですが治療後にどこかの喫茶店に入ってケーキ食べるか?と聞かれた時にはさすがの食いしん坊の私もいらんと言いました。

いやさすがに治療後すぐにケーキは無理でしょう。当時は歯の痛みからあまり何も思わなかったような気がしますが今考えるとそれはないやろって感じですよね(笑)

昔は誕生日会って結構普通にあったと思うんだけどそんな時は夜店で見るようなスーパーボールすくいを用意してくれて友達と一緒に楽しんだ記憶があります。

どうやって調達していたのかは本当に謎なんだけどね。

頑固な面もありましたが子供にはとてもやさしかったです。夏休みには近所の子供5~6人を連れて海水浴に行ったことも何度もありました。帰りに毎回アイスクリームを買ってくれたんだけどうれしかったなあ。

口数が多い父ではありませんでしたが行動で応えてくれていたように感じます。この経験があるからかどうかわからないけど私は口先だけで行動しない人間は信用できないと感じるんですよね。

我が家で語り継がれるエピソードとして余命宣告されて入院している時も勝手に抜け出してパチンコに行ってたなあというのは今となっては良い思い出です。

また医師の許可をもらっていたかどうかわからないけど温泉治療と称して兵庫県から秋田県まで車で行き1ヶ月ぐらい湯治場にいたこともありました。母は運転できないので一人で運転していったようですがこの辺もよくわからないけどすごいですよね。

定年後には母と二人で新車を買って全国を旅行するのが夢だった父ですがその夢も叶いませんでした。

そんな父の死に顔はとても安らかだった記憶があります。とても聖人君子な人間ではありませんでしたが、私にとってはやはり尊敬できる人間の一人でした。

私は誰かからそう思われることがあるのかなあ?尊敬されなくてもいいけど自分が死ぬ時はやっぱり誰かに涙を流してもらえるとそれはそれでうれしいかなと思います。

父に直接は言えませんでしたがやっぱり言っておきたい。

お父さん、ありがとう!

そしてお父さんが生きたかった時間も楽しく生きて行くことを誓います。



【この記事を書いた人:クロスパール】

1971年生まれ、2017年9月にセミリタイア達成。資産運用の中心はインデックス投資で趣味として日本個別株を保有。日本株は配当・優待を長期に享受するスタイルです。

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2017年9月(45歳)セミリタイア、その後鳥取に移住してのんびり暮らしています。資産運用の公式(収入-支出)+(資産×運用利回り)を守りながらインデックス投資を継続中。お金のことやセミリタイアの日常、ダウンシフトした働き方などを発信します。

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